最高裁判所第一小法廷 昭和43年(あ)2800号 決定 1969年10月02日
主文
本件上告を棄却する。
理由
被告人本人の上告趣意について。
所論は、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
弁護人石川元也、同深田和之の上告趣意第一点について。
所論のうち判例違反をいう点は、所論引用の昭和二七年三月五日当裁判所大法廷判決(刑集六巻三号三五一頁)は、起訴状の公訴事実の冒頭に犯罪事実と関係のない被告人の前科が記載された事案に関するものであり、また、昭和三三年五月二〇日当裁判所第三小法廷判決(刑集一二巻七号一三九八頁)は、起訴状の公訴事実中に、恐喝の手段として被害者に郵送された脅迫文書の全文とほとんど同じ記載がなされた事案に関するものであつて、いずれも本件と事案を異にし、適切ではないから、論旨は、前提を欠き、その余は、憲法三七条一項、三一条違反をいう点もあるが、その実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、結局、所論は、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(本件起訴状における「外遊はもうかりまつせ、大阪府会滑稽譚」と題する文章原文の引用は、検察官が同文章のうち犯罪構成要件に該当すると思料する部分を抽出して記載し、もつて罪となるべき事実のうち犯罪の方法に関する部分をできるかぎり具体的に特定しようとしたものであつて、刑訴法二五六条三項に従つて本件訴因を明示するための方法として不当とは認められず、また、これをもつて同条六項にいう裁判官に事件につき予断を生ぜしめるおそれのある書類の内容を引用したものというにはあたらない。この点に関する原判示は、是認することができる。)。
同第二点および第三点について。
所論のうち憲法二一条一項違反をいう点は、事実誤認および刑法二三〇条、同条の二の三項の解釈適用の誤りを前提とするところ、記録によれば、原判決には所論のような事実誤認、法令違反が存するとは認められないから、論旨は、前提を欠き、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、結局、所論は、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)
弁護人の上告趣意
第一点
一、原判決は、第一審判決が、本件起訴状に刑事訴訟法第二五六条六項の違背があり同法第三三八条四号によつて公訴を棄却すべきであるのに不法に公訴を受理したという弁護人らの控訴趣意に対し、「起訴状には訴因を明示して公訴事実を記載すべく公訴事実の内容については当然その犯行の方法についても具体的に特定して明示すべきものであ」り、本件の公訴事実からすれば「被告人において右の実田作夫(作品中の人物名)というのが実野作雄であると推知せしめるに足りるものとしてどのような文言の表示をしているのか、また実野作雄の名誉を毀損したという内容はどのようなものであるかにつき、これを具体的に明確にすることが必要であつて、そのため右文書の内容を記載するについて本件起訴状記載の程度に原文を引用することは未だ必ずしも右の必要程度を越えているものとは思料されず、従つて右の引用記載が裁判官に事件について予断を生ぜしめる虞のあるものとして刑事訴訟法の二五六条六項に違背しているとはいえない。」とした。
しかしながら、原判決の右判示は、以下に述べるとおり、刑事訴訟法第二五六条六項に関する最高裁判所の判例と相反し、且つ、憲法第三七条一項及び同法第三一条に違反する。
二、刑事訴訟法第二五六条六項が、「裁判官が、あらかじめ事件についてなんらの先入的心証を抱くことなく、白紙の状態において、第一回公判に臨み、その後の審理の進行に従い、証拠によつて事案の真相を明らかにし、もつて公正な判決に到達するという手続の段階を示したものであつて、直接審理主義及び、公判中心主義の精神を実現するとともに、裁判官の公正を訴訟手続上より確保し、よつて公平な裁判所の性格を客観的にも保障しようとする重要な目的をもつている」ことは昭和二七年三月五日最高裁判所大法廷判決(刑集六巻三号三五一頁以下)によつて明らかである。
しかして、本件起訴状は、その二頁から一〇頁にわたり、後に検察官から証拠として提出された雑誌「文芸春秋」第三九巻一号(昭和三六年一月号)の「外遊はもうかりまつせ」と題する文中の二九九頁から三〇二頁にわたる部分を、その中途のほん一部を省略したほか、完全に、原文をそのまま、長々と、しかも、(前略)(中略)(後略)という註までいれて引用しているのであつて、その引用は、実質的には、起訴状に証拠物たる雑誌を添付したのと異るところがないともいい得る程である。本件起訴状が、右大法廷判決の趣旨に照らし、刑事訴訟法第二五六条六項に違反することは多言を要しない。
三、ところが、原判決は、右一に引用したように、刑事訴訟法第二五六条三項の要請の下で、本件起訴状をみれば、公訴事実の特定という必要の程度を越えているものとは思われないという。昭和三三年五月二〇日最高裁判所第三小法廷判決(刑集一二巻七号一三九九頁以下)は、恐喝の手段として被害者に郵送された脅迫文書の趣旨で腕曲暗示的であつて、起訴状にこれを要約撃示するには相当詳細にわたるのでなければその文書の趣旨が判明し難いような場合には、起訴状にその文書の全文と殆んど同様の記載がなされても、その起訴状は刑事訴訟法第二五六条六項に違反しないものと解すべきであるとしている。
これを本件についてみれば、名誉毀損の手段として公刊されたという本件作品について、原判決がいうように、作品中の実田作夫が、実野作雄を推知せしめるに足りるものとしてどのような文言の表示がなされ、また、実野作雄の名誉を毀損したとされる内容が、どのようなものであるかということを起訴状において明らかにする必要があるとしても、そのため、本件起訴状のような引用が避くべからざるものであるかというと決してそうではない。
本件作品は、その趣旨が腕曲暗示的でもなければ、要約摘示が困難なものでもない。現に、原判決は、その五丁目末尾三行目から、六丁目表末尾四行目までの間に、三〇〇字以内で、本件作品の要旨をまとめ、その六丁目裏末尾二行目から、七丁目表四行目までの間に、一五〇字以内で、実野作雄を推知せしめるに足りるとする作品の記述を要約記載している程であり、公訴事実の特定、或いは具体的明示という観点からしても、起訴状の起載は、原判決の右要約程度の簡明さをもつて充分というべきである。
公訴事実を明確に特定するという観点からみて、本件起訴状の記載が「必要の度をこえ」ていることは、第一審の昭和三八年二月二七日付決定の肯定するところでもあり、本件起訴状のように作品の原文を長々と引用すると、そのいかなる部分が、実野作雄を推知せしめるというのか、また、名誉を毀損したとされる内容はなにかという最も肝要な部分を却つて、あいまい、不明確ならしめ、被告人の防禦権の行使を困難ならしめるのである。
四、要するに、原判決の一記載の判断は、刑事訴訟法第二五六条六項に関する二記載の大法廷判決並びに三記載の第三小法廷判決の判旨と相反するものであり、ひいては、憲法第三七条一項が公正な裁判を受けることを保障し、憲法第三一条が適正手続を保障しているところに違反するといわなければならない。
原判決は、この理由をもつて破棄さるべきである。<以下省略>
<参考一>起訴状の公訴事実の記載
(注) 『 』内が文章原文の引用部分である。
被告人は、大阪府議会議員であるが、昭和三十五年十月頃、東京都中央区銀座西八丁目四番地文芸春秋新社に宛て、同社が編輯発刊する月刊雑誌「文芸春秋」に掲載さすため、「外遊はもうかりまつせ大阪府会滑稽譚三谷秀治大阪府会議員」と題し、大阪府議会議員の行状を記載した文中に、同議会議員実野作雄が昭和三十年三月アメリカへ公務出張をした際出張日程を繰上げ帰国して出張旅費を不在利得した事実がないのに、『(前略)アメリカとは熱海なり?実田作夫という自由党の議員が、アメリカに視察に出発したのはそれから程なくだつた。これも議会では「グズ作」といわれるほど愚鈍な男であつたが、南大阪一帯の大地主であつた祖父伝来の威光で、四期も議員稼業を重ねていた。吃りで、発言障害をもつたこの男は、議長や副議長から締め出されている埋め合わせに、アメリカ視察の権利を獲得したのである。私は、このときも、危惧の念を強くもつた。日本語を喋ることさえ容易でない「グズ作」が、英語をあやつることなどは夢にも及びもつかぬことであつた。いつたいどうしてこの旅程をたどることができるのか。しかし、彼は一向に頓着なく準備をすすめた。年はとつても、さすが激しい選挙戦で敵を打ちとつて当選してきた勇士だけに、「グズ作」先生は、いささかも辟易するところなかつた。彼は、万歳の声に送られて大阪駅を出発した。それから十日あまりして、私は東京のある会議に出席した帰途、友人と熱海に下りた。土地不案内な私は、議員たちがしばしば口にする旅館の名をうろ覚えに探しあてて、漸く一泊することになつた。早めに夕食を済ますと、旅の疲れですぐに床についた。何時間経つた頃か、私はフト眼が覚めた。友人は鼾をかいて寝こんでいる。時計を見ると、夜明けにはまだよほど時間があつた。私は起上ると、一風呂浴びにでかけた。寝しずまつた旅館は森閑として、浴槽に湯の落ちる音が、かすかにした。裸になつて浴室に飛びこんだ私は、そこに一人の先客を見出して吃驚した。私がはいりこむのと、相手がこちらを振り向くのと同時だつた。双方が思わずアット叫ぶところだつた。それは、目下アメリカ旅行中の実田作夫先生であつたからである。「イイイ、いやア」彼は一瞬、ギョッとした風だつたが、すぐにつくり笑いを浮べて、失敗つたというように頭を掻いた。こともあろうに、うるさい相手と顔を合せたという表情だつた。実際私も驚いた。「サササ、サンフランシスコまで行きましてん。セセ、せやけど、それから先はどうにも動きがとれまへんわ。ナナ、なにしろ乗つて行つた飛行機から降ろされたら、心細うて、泣きとうおました。モモモ、もう欲も得もおまへんわ。一晩中まんじりともせず明かしました。ともかく、ジャジャ、ジャパントーキョウ、ジャパントーキョウと、ネネ念仏みたいにくり返して、漸く飛行機に積みこんで貰いましたわ。トト、東京の灯り見たとき、わいはほんまに生きとんのや思うたら、涙がポロポロこぼれましたわ。ほんまに」さて、東京まで帰つてはきたが、そのまま大阪にも帰るわけにもいかんので、熱海に潜んで、出張命令の期日の経つのを、指名犯人のようにひつそりと待つているのだ。私は、赤い鼻頭を湯気で光らせた実田作夫の困りきつた顔を見ながら呆れてものも言えなかつた。「タタ、頼んますよつてに、誰にも言わんとおくんなはれや」哀願するように眼をしばたたく実田作夫に接していると、気の毒といえば気の毒だが、はじめからわかりきつたことではないかという反撥もおきた。赤眼を剥いて出張争いをした揚句がこれである。これを黙つて見逃すわけにはいくまい。「困りましたなア」と私は不愛想に言つた。「セセ、せやけど、わいだけやおまへんわ。ま言うたら慣例みたいなもんだ」と実田作夫は顔を歪めて泣きべそを掻いた。「なるほど」と私はうなずいた。私は迂濶にも、この種のカラクリを今日まで知らなかつたのだ。臼田光二にしても、この手をつかつたことは間違いない。そこのところだけはかくしていたのだ。しかし、古株のボス議員の仲間では、公然の秘密であるらしいのである。私は自分の人の好さに、いささか腹を立てた。実田作夫は、四十日間の出張命令をうけていた。飛行機賃は勿論、別途支給になつている。日当宿泊料だけで八十万円を懐に入れている。熱海の宿で二十日間寝ておつても、十万円あればことは足りる。差引き七十万円の稼ぎというわけだ。それにしてもがめつい話ではないか。それをいまさら黙認してくれというのは虫の好い話だ。「税金泥棒の共犯者になつてたまるか」と私は思い、黙然と湯槽から立上つた。「見えすいた大ボラ」やがて開かれる本会議に、海外旅行禁止案をもちこもうと、資料を集めていると、実田作夫が、旅行日程を了えて悠々と帰つてきた。歓乎の声に迎えられて、凱旋将軍のように駅頭に降り立つた実田先生は、四十余日にわたる全日程を、寧日なくアメリカ各地の産業、経済、文化、行政、各般の視察に忙殺されて、裨益するところ、きわめて甚大であり、今後の府政の発展に寄与するところ大なるものがある、と吃りながら一席ぶつたという話を聴いて、私はあいた口がふさがらなかつた。ぶつ方もぶつ方だが、それをまた真に受けて、感嘆これ久しゆうする方も、いい面の皮だ。(中略)熱海の湯で、湯焼けしたその顔貌も、また米州各国の多忙な視察旅行の苦難の跡を示すかのごとく、住民大衆には迎えられたことであろう。そしてその面皮をはぎとつて、住民の前にあきらかにしてやらねばならないという、正義感めいたものにかられたのだ。私は、あわてて資料の整理にとりかかつた。その夜、遅く、実田作夫がひよつこり私の家に顔を出した。ココ、今晩は、と彼は吃りながら、今朝帰阪したと挨拶して、アメリカ土産という包物を差し出した。私が、このようなものを貰ういわれがないことを述べて、辞退すると、彼は、何を遠慮するかと気色ばみ、土産物を残して戸外に飛び出してしまつた。間もなく疾走する自動車の音が聞えた。サンフランシスコのエアーステーションで、一晩中まんじりともせず夜を明かした実田が土産物まで買い整えてきたとは思えないから、東京あたりで、外国製品の安物を買い漁つて配つているに違いなかつた。ひよつとすると、現金で三万円ぐらいはしのばせているかも知れない。いずれにしても、さわらぬ神に崇りなしというところだ。私は翌日、使のものに土産物を托して実田作夫のところに届けさした。二三日経つて実田の歓迎報告会が議会で催された。私も出席して、何を喋るかと好奇心をもつて末席で眼を光らせていた。実田は相変らず吃りながら、米州の各地を経巡つてきた苦心談を語り、なかんずく、ワシントンやニューヨークの市長や知事と会食して、懇談する機会をもつたことは、望外の喜びであつたと語つた。私は狐につままれたような気がした。熱海の宿で会つた男は、実は実田作夫ではなかつたのではないか、と自分に反問してみたほどであるそれにしても、私を眼の前に置いて、平然と見え透いた大ボラを吹いている実田作夫という男が、私にはまつたく不可解であつた。私は、いささか毒気に当てられたようになつて、コッソリ会場から遁れ出た。控室に帰つてくると、いつの間に届けられたのか、返した筈の実田作夫からの土産物が、ちやんと届いていた。私は「こんなもので殺されてたまるか」とばかり、それを鷲づかみにして、実田の属する控室にとびこんだ。実田はそこにまだ帰つていなかつた。私はそれを投げつけるようにテーブルの上に置き捨てて、「二度とこんなもの持つて来たら承知せん」と控室の事務員に云い残して退庁した。私が自宅の玄関に入るのと、実田作夫の車が表に止るのと殆ど同時だつた。彼は、私の姿を見出すと、相好を崩して笑つた。「ワワ悪うおました」と彼は云つた。「キキ、君がアメリカが嫌いやということを、ワワ忘れとりました。ス済んまへん。ココ、これは純粋のメメメイド・イン・ジャパンだ。これは、ホホ、ほんのわいの気持だけだすよつてに、受取つておくんなはれ」そう云つて彼は、長四角型の小さい箱を、応接の机の上に乗せた。貴金属かなにかの感じだつた。この男と私の感覚はどこかで食い違つていた。彼は、あるいはこれで筋目を通し、順序を踏んで仁義をつくしている心算かも知れない。だから当然これで話はつくべきものだという感覚なのである。これが「議員道徳」と称するものであるらしい。「そんな道徳なんて、糞くらえだ」と私は思つた。そして、私はとうとう顔を硬ばらせて、実田に品物を押し返した。「こんなものを貰うわけはない。こんなもので殺したり殺されたりするのは、私は御免や」「ソソ、そんな殺生な」と実田作天は頭の天辺からしぼりだすような声を出した。「お互に議員同士でんがな」お互の弱味をかばいあい、住民の前をつくろうことが、議員同士の誼ではないか、と実田は云いたいのであろう。私が突き放すように拒絶すると、実田作夫は、頭を掻き、いかにも泣き出しそうに顔を歪めた。そして、くどくどと哀願の言葉を繰り返しはじめたのである。(後略)』と、恰も右実田作夫が前記実野作雄であることを推知せしめ得る内容及び同人が前記アメリカ出張の際出張日程を繰上げて帰国し多額の出張旅費を不正利得した旨虚偽の事実を記載した原稿を郵送し、文芸春秋新社編集兼発行人田川博一をして、右原稿を原文のまま月刊雑誌「文芸春秋」第三十九巻第一号に掲載させ、昭和三十五年十二月十日頃、東京都千代田区九段一丁目七番地東京出版販売株式会社などにより、前記文芸春秋六十一万八千部を広く一般読者に販売させ、もつて、公然事実を摘示して実野作雄の名誉を毀損したものである。
<参考二>原判決の関係判示部分
「刑事訴訟法二五六条六項は公訴事実に直接関係のない事情等を詳細に記載して起訴状一本主義の脱法を図り裁判官に事件について予断を与えることを避けようとする趣旨のものであるが、しかし起訴状には訴因を明示して公訴事実を記載すべく、公訴事実の内容については当然その犯行の方法についても具体的に特定して明示すべきであることも同条三項に規定するところであつて、本件名誉毀損の公訴事実としては、被告人が、前示文書の記載において、実田作夫という架空の人名を用い、恰も大阪府議会議員である実野作雄が米国に公務出張した際に勝手に出張日程を切り上げて帰朝することにより多額の出張旅費を不正に利得した旨の虚偽の事実を摘示して同人の名誉を毀損したというのであるから、被告人において右の実田作夫というのが実野作雄であると推知せしめるに足りるものとしてどのような文言の表示をしているのか、また実野作雄の名誉を毀損したという内容はどのようなものであるかにつき、これを具体的に明確にすることが必要であつて、そのため右文書の内容を記載するについて本件起訴状記載の程度に原文を引用することは、未だ必ずしも右の必要程度を越えているものとは思料されず、従つて右の引用記載が裁判官に事件について予断を生ぜしめる虞のあるものとして刑事訴訟法二五六条六項に違背しているとはいえない。よつて原判決が本件公訴につき同法三三八条四号により公訴棄却の判決をする措置に出なかつたのは相当であつて、所論の如く同法三七八条二号の不法に公訴を受理した違法があるものとは認められない。」